艦これの聖地へ行く!【日岡神社・加古川編】
艦これ度☆☆ 観光度☆☆☆ アクセス度☆☆☆
総合5点満点中2.7点
前回は神戸市にある摩耶の聖地「摩耶駅と摩耶山」をご紹介いたしました。今回はその足でさらに西の加古川市を目指します。
加古川市と言えばアレですよね。そう!
『加古川より向こうの人はもう帰られへんね』で有名な所。
知っている人は知っている。知らない人はググってください。
真面目な話に戻しますと、この加古川市には日岡神社がございます。
日岡神社は重巡洋艦「加古」の艦内神社であります。日岡神社のすぐそばには「加古」の命名の由来でもある加古川が流れています。
重巡洋艦って山の名前じゃないの?と疑問に思った方は鋭い!
川の名前が付いた理由は建造中止となった川内型軽巡洋艦4番艦の名前が流用されたため。だそうです。(参照:ニコニコ大百科)
それでは早速 重巡洋艦『加古』の聖地 日岡神社と加古川へレッツゴー!
JR加古川線
日岡神社の最寄駅である日岡駅にはJR神戸線からJR加古川線に乗り換える必要があります。乗り換えようとホームを移動するため階段を降りたら「加古川線はicoca(関東で言うsuica)は利用できません」とデカデカと表示。これだけで凄い田舎臭を感じてしまった。(しかし!今年の3月から利用できるようになるそうだ!!)
始めて乗る路線なのでドキドキしながら改札を通り、階段を昇ったら普通の1両よりちと胴長の電車がいました。中に入ってみるとまたびっくり。バス見たいな作りになっている。人がそこそこ乗っているので写真は撮れなかったが先頭にある支払機だけ写真を撮ってみました。バスでよく見るやつですね。
電車に詳しくないので家に帰って調べてみたらJR西日本の125系みたいです。こんなのあるんだね~。気になる方はググってください。
出発して気づいたのが単線だったということ。これも家に帰って調べてみると、加古川線は加古川~谷川間の48.5km全線単線!!これまたびっくり。どうりで本数も少ないわけだ。(加古川から日岡駅には1時間2~3本、西脇までとなると1時間1本)
青春18きっぷの私は降車の際に「18きっぷで~す」と運転手に見せながら降車。電車なのにバスに乗っているような不思議な気分が味わえます。(香取駅の無人もインパクトあったけどね)
加古川駅の次の駅なので3~4分で日岡駅到着!降車人数は6~7人。寂しい。
そして降りると同時に鼻にツンと煙たい匂いが。後で周りを散策してわかったのですが二か所で畑焼っぽいことをやってました。畑焼って12月にやるものだっけ?もしかしたら別の物を焼いていたのかもしれません。
日岡神社
反対側のホームに出口があり道なりに1分ほど進むと案内板がありました。そちらの方向を向くと日岡神社の入り口である随身門が見えます。
この門は随身門と言われています。伺ったのは12月30日ですが、すでに新年気分な日岡神社です。とりあえず神様に礼をしてから入ります。
参道と言っていいのでしょうか。本殿へはこの道一本。古びた屋台が脇に数店ありました。やってないんですけどね。
実はこの日岡神社。1000年を超える歴史ある「安産の神様」として名前を馳せる播磨随一の大社なのです。本殿前の右側には大きな絵馬が。毎年変わるそうです。こちらの前で写真を撮られていた家族もいらっしゃいました。
本殿で神様に感謝の言葉を伝えグルっと一周してみる。
全部見て回っても15~20分くらいあれば十分に回れます。
昼過ぎにも関わらず私含め観光客は10数人。どこを見ても艦これの「か」の字も見当たりません。(大体の神社では艦これの「か」の字も見えませんけどね)
地元青年団がタイアップ企画とか考えればいいのにね。まぁ素材が素材だけに扱いにくいのはわかりますけど。ちょっと見どころが少ない日岡神社でございました。
加古川
日岡神社から歩いて10分もかからない所に加古川が流れています。せっかくなので行ってみましょう。
歩いて5分ほどで土手が見えてきます。香取でもそうでしたが、通りから外れたら田んぼや畑が多くなります。
土手を登るとそこは車がビュンビュン。歩道もない。なにこれこわい。渡れない><
前後見ても信号とかないし。ということで遠目からパチリ。いまいち川とわかりにくい写真だ・・・。
(日岡駅よりではなく、加古川駅よりなら人が入れる緑地帯があったみたい。残念・・・)
ま、川を見れたしと自己完結して日岡駅へ・・・と時刻表を確認したら次の電車まで20数分。一駅だし加古川駅まで歩いてみることに。
しかしそれが間違いだった。寒い中、面白味もない街並みをひたすら歩く。香取では山あり一面畑ありと自然を満喫しながら30分ほど歩いても飽きなかったのですが、加古川は無理。歩くのはやめたほうがいい。たとえ20数分待ちでも一駅ですが電車に乗ることをおすすめします。
なんだろう。重巡「加古」の街なのに「加古」を感じることができなかった聖地巡礼でした。